About us
MUJINZO has a concept to
“A notebook to tell your own story.”
The two artists, Yaeko Shiroshita and Seika,
started the brand.
We live at the base of a small mountain called
Maruyama in Sapporo, Hokkaido.
It is a lively area, a pleasant mix of city and nature,
modern and retro, academia and freedom.
We see the natural changes of the seasons,
have a great love for cute animals
and beautiful plants,
and look for new and old things and draw them
in the pictures of our notebooks.
That is what we do.
We would be glad to deliver our notebooks to people
in every corner of the
world with the blue skies
and a cool breeze from northern Japan.
MUJINZOノートブックができるまで
2019年の10月、フランスで開催された展覧会に日本画を出品するため、私たちはパリを訪れました。
ルーブル美術館の地下1階には、世界中の一流品が集められたカルーゼル・ドゥ・ルーブルというショッピングモールがあります。地下は美術館と同様に広大で、頭上に逆三角形のガラスのピラミッドがきらめいていて、私たちはそこでしばらく休憩しておりました。
すると、とある目立つ一角に日本製の文房具を扱う店があるのを発見しました。その文房具店には各国の人びとが次々に入店し、日本製の文房具を楽しげに買っていくのです。私たちはハッとする思いで見つめました。
それは、日本では当たり前の品質が世界では最高の性能を持っていることを、初めて肌で感じとった瞬間でした。
またパリの街角でフラリと立ち寄った文房具屋さんでの事。
ヨーロッパのノートブックが所狭しと陳列され、それらはまるでアート作品の如く美しくお洒落でした。私たちは喜びのあまり抱えきれないほどのノートブックを持って会計に並び、レジの女性を呆れさせたほどです。
私たちは買ったばかりのノートブックを抱えて、お互いに思い付いた事を口にしました。
「文房具は国によって違う!フランスはアート性、日本は機能性…どちらも長所だけれど、この2つをあわせ持つ物を作れないだろうか?」
「もし私たちの絵を日本でノートブックにしたら、優れた性能とアートが融合する新しいノートブックになる」と、意気揚々と軽い足どりで帰ったのを私は忘れることができません。
そして期せずしてこれがノートブック作りのスタートとなったのです。
フランスから帰国後の2020年に株式会社グリーンパピリオを設立し、いよいよ歯車が動きだしました。私たちの二人だけの小さな会社の門出ですが、大きな可能性を秘めて大海に漕ぎ出すようなワクワクを感じていました。
しかしモチベーションは高かったのですが、順調に物事が進んだわけではありません。ノートブック制作を引き受けてくれる製本会社が見つかるまでの数ヶ月間、多くの製本会社に断られてしまったのです。
製本には数多くの工程があり、さらにそれぞれの製本会社にも得意分野が存在するので、私たちが望む製品とマッチングする製本会社を探しだし、さらにOKをもらうのは至難の業でした。もう作ってくれる会社はないのかと諦めかけた2020年12月に、河内屋製本さんから1通の返信があり、そこには、インスタグラムの作品を見て、是非ノートブック制作の力になれば…という嬉しい言葉がありました。
ついにやっと夢が現実になる!と心踊る思いがいたしました。
河内屋製本さんは製本の老舗で、私達が思い描くノートブックを形にしてくださる高い技術力をお持ちで、独自ブランドで日本グラフィック工業会・厚生労働大臣賞や文房具屋さん大賞・ノート賞を受賞されるほどの実力を兼ね備える会社です。
出会えたことは幸運でした。
私達は絵を描く仕事を生業としていますが、多くの人と幸福感や豊さを共有して、もっと多くの喜びを受け取ることができます。
このノートブックを受け取った方がどんな方なのか、大切な人へのプレゼントなのか、またノートに何を書かれるのだろうと楽しい思いを巡らせます。
どうぞ貴方の人生のエピソードの側に、このノートブックがそっと置かれていることを願って、心を込めてお届けします。
ノートブック制作にあたって、税理士の八島依子先生、株式会社河内屋・代表取締役 國澤良祐様、従業員の皆様に深い感謝の言葉を捧げます。ありがとうございました。
また家族の協力無くしてはノートブック完成までたどり着けなかった事を、ここに明記しておきたいと思います。
代表 城下八重子
Staff
城下八重子
Yaeko Shiroshita
株式会社グリーンパピリオ 代表取締役
日本画家、日本画講師、掛け軸作家
MUJINZO Bookmaker のイラストを担当いたしました。
この場をお借りして少し日本画のお話しをさせていただきます。
日本画は、和紙に岩絵の具を使って絵を描く技法で、古くは飛鳥時代の高松塚古墳の壁画にも用いられていました。
岩絵の具は、その名の通り岩や鉱物を粉末状にした絵の具です。職人さんたちが一枚一枚漉いた和紙に岩絵の具を載せると、色彩が解き放たれたように輝きます。
それは地球が長い時をかけて生み出した自然の輝きなのでしょう。昔は世界各地で岩や鉱物を使って絵を描いていましたが、その手法は日本画に息づく数少ない伝統技法となりました。
「Undine」鳥の子紙・岩絵の具、水干絵の具着彩
四季折々の美しい花達、人や昆虫・動物の可憐な表情を日本画で描き、それを皆様にご覧いただくことは、なんと幸せな事なのだろうと思います。
そして日本画で培った色彩豊かな絵を、栞という手に取りやすい形で皆様にお届けできる事に、喜びの気持ちを抱いております。
栞には宇宙の神秘を解く鍵の“量子もつれ”や”オイラーの等式“を図案化したもの、月の満ち欠け、水や風を表す“プラトンの立体”を配置しました。知的好奇心をくすぐる楽しい栞になればと考えています。
青華
Seika
株式会社グリーンパピリオ 取締役
アートディレクター
現在、MUJINZOのプロダクトのデザインと、MUJINZOノートブックのイラストを手がけております。
MUJINZOノートの根源には自然への敬意と感動があります。
イラストを描く時、私は植物や動物などの自然を、頭の中のイメージだけで描くことはしません。常に、実物のモチーフを用意して、あるいは自分から足を運んで、新鮮な気持ちでスケッチをするようにしています。モチーフを先入観でもって「こういう色、こういう形だろう」と決めつけることはしないように心がけています。自然をよく観察せずに描写力で補おうとするとそこに慢心が生まれ、それは見てくださる方々にとってもつまらない作品になってしまうと考えています。
常に目の前にある自然が先生だと思い敬意を持って観察すること。
そして、描き切ることを目標としています。
私たちの活動拠点
株式会社グリーンパピリオは、北海道札幌市を拠点に活動している2人のアーティスト、城下八重子と青華によって作られた会社です。
私達が活動を続けている地域は自然と街が融合する活気ある所で「円山」という呼び名で親しまれています。円山は大通りからほど近いところにあり、市の中心部でありながら標高226mの原始林で覆われた小山や裾野には円山動物園、北海道神宮があり、周囲の住宅街にはお洒落なカフェやレストランが点在する注目のスポットです。円山は札幌市民の憩いの場であるとともに、北海道アートのこれからを担う発信拠点でもあります。
その円山の一角に、グリーンパピリオの本社である築100年の「旧城下医院」の建物があります。昨今、多くの古い木造建造物が壊されている中で、旧城下医院は戦前の姿をとどめている数少ない建造物として札幌景観資産(第21号)に登録されています。
私たちは、かつて診察室や待合室だった部屋を現在アトリエとして使用。さらに庭には北海道に馴染み深いオオバナノエンレイソウ、山芍薬、白根葵、福寿草、黒百合、厚岸菖蒲など貴重な山野草が50種類以上自生しており、移り行く自然を身近にスケッチすることができます。
グリーンパピリオのアート活動は円山の原風景と共に生き続けています。
旧城下医院について
株式会社グリーンパピリオの活動拠点である旧城下医院は、田上義也氏に設計を依頼して建てられました。
田上義也氏は、明治32年栃木県生まれの建築士で、東京帝国ホテルを設計した世界的に有名なフランク・ロイド・ライトに師事し、ライト氏とともに帝国ホテルの設計事務所にてホテルの建築に携わっていた1人でもあります。
大正12年、関東を襲った巨大地震。
東京帝国ホテルは無傷でしたが、廃墟と化した東京を目の当たりにして、義也氏は2ヶ月後にひとり北海道に向かいました。そして北海道の過酷な自然の中で生きる開拓者たちの不屈の精神に感銘を受け、さらに自然の脅威に耐える建築物をつくることが、自分の使命と考えました。
義也氏は東京帝国ホテルの経験を生かし、多くのモダン建造物を設計しました。現在は「ろいず珈琲館・旧小熊邸」や小樽の「坂牛邸」など、現存する建造物は少なくなってきています。
かつては周囲を玉ねぎ畑に囲まれ、地域住民から“軍艦のように建っている家”と称された城下医院。今では住宅地に佇む古民家となりましたが、その建物は昭和初期の札幌市民の間で広まった“昭和モダニズム”を今に伝える数少ない建造物として、地域住民に愛され続けています。
(参照:THE JR Hokkaido No.250特集 雪国への使徒、田上義也)